過酷な自然の中で暮らしているバハカリフォルニアの人々はとても人情深い。
ラテンの血を引く民族性だけでなく、厳しい環境でのトラブルが重大な結果につながることを知っているからであろう。乾いた砂の台地で暮らすバハの人は、水の大切さを知っている。ちょっとしたことでも困っているひ人がいれば放ってはおけない。
BAJA1000に出場する者は、一般の旅行者よりもトラブルの可能性は高い。ゆえに、バハの人々の親切に触れる機会も多いのだ。バイクとともに町から離れた場所で、彼らと出会うことが多い我々が、もっともよく聞く言葉は、「水はあるか?」という言葉だ。

レースコースの試走=プレランでBahia de Los Angeres(バイア・デ・ロスアンヘレス=天使の湾)という村から走り出したが、そこから25kmほどのところでエンジンが焼きついてしまったことがあった。2台のマシンでのプレランであったので、1台は先に行かせ、先回りしているサポート隊と合流後、引き上げに来てもらうことにした。
とはいえ、レース本番までの時間は限られている。壊れたパーツをアメリカで手配し修理しなくてはならない。しかも半島の真中まで来ているので、国境まで少なくとも半日は掛かる。その場で待っていても仕方がない。先に行かせたライダーがサポート隊と合流してプレランをスタートさせた地点に戻ってくるまで5時間以上はかかる。1時間で4Km進めばだいぶ時間も短縮できるだろう、少しでも村に近づこう、とバイクを押して歩き始めた。
しかし、30分ほどで、もうヘトヘトだ。プレラン走行のバギーが数台通過したので、何台目かのバギーを停めて助けを求めたが、バイクを載せるスペースなどないと断られた。そんなときに村の方向から1台のトラックがやって来た。

レース車両とはあきらかに違う排気音である。近づいてくると4tほどの地元メキシカンのパネルバントラックだ。
事情を説明すると快く引き受けてくれた。バイクを積むところはあるかと尋ねると、荷台の扉を開けて中を見ろと言う。覗いて見ると、中には山盛りの氷と、ビールやジュース、生鮮食品が積まれている、いわゆる冷蔵車であった。
これだけのスペースがあればバイクは乗るだろう?どうだ?あるいは、氷付けのバイクになるけどいいか?と云った感じの笑みを浮かべている。ひげ面の天使である。
何も御礼はできないし、お金もあまり持っていないがいいかと、財布から10ドル紙幣を出すが、いらないと言って受け取らない。しかも、荷台から冷えたテカテビールとチョリソを出してきてくれた。
そのビールを飲みながら村まで数10分、涙が出てきたのは、開けっぱなしのウィンドウから入ってくる土埃が目に入ったからだけではなかった。
また、バハは、訪れた者の心も変えるようだ。
BAJA1000の取材中、ヘッドライトが切れてしまった。直すことが出来ず、LEDのヘッドランプをガムテープで巻きつけ走行していると、後ろからHIDの強烈な青白い光が迫ってきた。
暗いランプで走行しているので、だいぶゆっくりだが、さらに少し速度を落とし、右によけるが、抜かそうとしない。いつまでもハイビームのままで後を着いて来る。街灯など全くない1本道だ。対向車が来ないのは明らかである。
でも、彼らの意図がすぐにわかった。ハイビームの明かりで、前方を照らしてくれているのだ。
対向車がくるとライトを下向きに切り替え、通りすぎるとまた、強烈な光で見やすくしてくれた。30分ほど走ると、街の入り口にガソリンスタンドがあったので停車すると、彼らも停まってくれた。レース関係のアメリカ人のようであった。
街の中心までまだ少しあるが大丈夫か?他に問題ないか?と尋ねられた。もう十分であった。

困っている人がいたら助けてあげようと、心に誓った。
少なくとも、そのときはそう思った。日本に帰ってくるとすぐに忘れてしまうが・・・。
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