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最新号

#1 バハ・カリフォルニアはパラダイスなのだの巻
#2 バハの道には信号がいくつあるの?の巻
#3 バハのセルベッサの巻
#4 バハはレース天国なのだの巻
#5 バハの正月とおせちの巻
#6 バハのお買い物と通貨の巻
#7 バハのタコスの巻
#8 バハのサボテンの巻
#9 バハのガソリンの巻
#10 バハの目黒の巻
#11 バハは暑い?の巻
#12 バハの子供達の巻
#13 バハを味わうの巻
#14 バハの宿の巻
#15 バハのスーパーマーケットの巻
#16 バハの道(舗装路編)の巻
#17 バハの道(ダート編)の巻
#18 バハの動物達(砂漠編)の巻
#19 バハの動物達(海編)の巻
#20 バハの警察と軍隊の巻
#21 バハの音楽とマリアッチの巻
#22 バハの水の巻
#23 バハの車の巻
#24 バハのレースコースと1号線の巻
#25 バハのおみやげの巻
#26 BAJA1000の観かたの巻
#27 バハの犬の巻
#28 バハの人々の巻
#29 バハの屋台の巻
#30 BAJA1000のマシーンの巻
#31 バハのハイウェイとミニストアの巻
#32 バハの海の巻
#33 バハのコースと砂の巻
#34 バハの人々 人情編の巻
#35 バハでのトラブルの巻
#36 バハの空の巻
#37 バハの電話の巻
#38 バハのジュースと缶詰の巻
#39 バハのコーヒーの巻
#40 バハのドライレイクの巻
#41 バハのコンビニの巻
#42 バハのナショナルパークと世界遺産の巻
#43 バハの名店 ママ・エスピノーザの巻
#44 バハに架ける橋の巻
#45 バハのオートバイの巻
#46 BAJAの40年の巻
#47 バハの北と南と1号線の巻
#48 バハの名店 マイクス・スカイランチの巻
#49 バハの国境の巻
#50 バハの真珠とHotel Perlaの巻
#51 バハのフリホーレスの巻
#52 バハの街角から ティファナの巻
#53 バハの名店 アルフォンシナスの巻
#54 バハの街角から エンセナダの巻
#55 バハの1号線とマリア様の巻
#56 バハのメキシコ国旗の巻
#57 バハの街角から サンタ・ロザリアの巻き
#58 バハの名店 オールド・ミル・ホテルの巻き
#59 BAJA の土地とレースコースの巻き
#60 バハの牛の巻き
#61 バハのトルタスとホットドッグの巻き
#62 BAJAのメスカルの巻き
#63 バハの日墨400年の巻き
#64 バハの節句の巻き
#65 BAJAの雨の巻き
#66 バハの街角から バイア・デ・ロスアンヘレスの巻き
#67 バハのお盆の巻き
#68 バハの名店 ホテルカリフォルニアの巻き
#69 バハのハリケーンの巻き
#70 バハの山脈とコルテス海の巻き
#71 バハのジャンテーラの巻き
#72 バハの街角から サン・フェリペの巻き


 −That's Baja Baja Story! −

BAJAの40年の巻

 世界最長のスプリントともよばれるオフロードレース、BAJA1000は、今年で40周年を向かえる。
 その記念すべき第1回目のサバイバルレースは、1967年、メキシカン1000ラリーとして始まった。
 当時、サウスカリフォルニアの砂漠地帯では、オフロード走行用に改造したスクランブラ−と呼ばれるバイクでのレースや、ファンライドが盛んに行われていた。
 カリフォルニアのライダー達は、自由に走ることができる広大な土地に恵まれてはいたが、そこは、ライダーの性なのだろう。いつしか、国境を越え、半島を縦断するまともな道すら通じていなかったバハ・カリフォルニアを舞台にアドベンチャーライドを楽しむ人たちが現れ、さらに、いつの世でも変わらぬように、記録に挑戦しようとするライダーが出てきたのだ。


 世界的に見れば小さな日本のオートバイメーカー、HONDAは、その年発売したCL72というスクランブラーのプロモーションとして、バハ・カリフォルニア半島の縦断タイム記録樹立を企てた。
 1962年にデイブ・イーキンスとビル・ロバートソンの2人のライダーによって、その歴史的な半島縦断行軍は行われた。
 もちろん明確な規定は無かったので、彼らは、スタート地である、国境の街ティファナで電報を打ち、ゴール地のラ・パスでやはり電報を打って半島縦断の時間を計測したのだ。
 半島中央部で夜を迎えた彼らは、行くべき道を失い、ビルの乗るCLの1気筒がブローするものの、なんとか半島南端部のリゾート地ラ・パスにたどり着いた。そして、先に到着したデイブが電報局で打った電報の時刻から、ティファナでのそれを引き算すると、それは、39時間56分というすばらしいタイムであった。

 

 記録は塗り替えられるためにあるといわれるが、新しい記録を打ち破ろうと次々にライダー、ドライバーが、半島縦断の記録に挑戦していった。翌年には、やはりオフロード用に改造した4輪で新しい記録が生まれたりしたが、その計時方法や、ルートがまちまちであった。
 レースの始まりは、至極単純である。一定のルールの下で半島縦断の記録を、という自然発生的な流れからBAJA1000は始まったのだ。
 BAJA1000は、途中メキシコ政府が主催するも失敗し、その翌年の開催がなかったり、主催団体が変わり、名称も変わったが、初めて半島縦断レースの開催から今回で40回目のレースとなる。
 現在の、サル・フィッシュ氏率いるSCOREの主催になってから、33年である。その、草創期には、パリダカールラリーの創始者、ティエリー・サビーヌ氏も視察に訪れたと言うほどオフロードレースとしての形態がすでに確立されていた。アメリカのマーケットのみならず、世界的にもメーカーの宣伝広告、そして技術開発の場としても発展することとなる。
 しかし、もともとライダー達の好奇心から始まったレースという位置付けは変わらず、改造の度合い排気量などでクラス分けされ、なるべくイコールコンディションで戦えるようになっている。


 マシンの性能は、この40年で、アポロ11号とスペースシャトルの違いと同じほどの変化を遂げた。
 フロントフォークは正立から倒立へ、リアサスペンションは2本ショックからモノサスへ、空冷から水冷へ、フレームがアルミ製へと、新たな技術も投入され、スピード、耐久性、衝撃吸収力など総合的な走破力は飛躍的に伸びた。
 しかし、そんな高性能なマシンをしても太刀打ちできないバハの自然は、今も昔と変わらない。そして、ライダー達の熱い思いも、変わることはない。これからも奇跡の半島が存在する限り変わらないだろう。

  

 40周年を迎える今年のBAJA1000は、イベントとしても大きな大会になる。45年前に記録を作ったCL72が、ティファナで展示されパレードランをするようだ。
 けっして、懐古趣味というわけではないが、この機会にCL72で参戦しない手はないだろう。
 時代を逆行する空冷、2本サスのマシンだが、他人との戦いではない。相手はバハの自然そして自分自身である。
 先人達の苦労を、そして、達成感をこの機会に味わって見るのもわるくない。

 

 

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