「電話帳のようにぶ厚い」と言う表現は、バハでは通じない。
なぜなら、バハカリフォルニア半島全てをカバーする電話帳でも、わずか100ページほどしかないからだ。つい最近まで、バハの電話番号は市外通話では5桁の番号であった。ローカルコールでは、たったの3桁で通じたのである。

さすがにバハカリフォルニアも開発が進み、加入者の増大に伴い、2000年には番号が7桁に変更となった。ただし、いかにもメキシコ的だが、全ての表示が変更されずに一部の表示は5桁のまま統一されなかった様で、2001年から、現在の7桁が、確定された。
エリアコードを含めると10桁となる。日本からかける場合は、国際電話番号に続けて、国番号のあとに続けてダイアルする。+52-(XXX)-XXX-XXXX

バハカリフォルニア半島を縦断する国道、1号線を南下していくと、ところどころに、MICROONDASという看板を良く見かける。
50メーターはあろうか、近づくと天まで届かんばかりの高さの鉄塔を備えた無線中継所が国道沿いに点々と設置されている。
街と街は、この無線でつながっているが、その中継所の建設と、無線の技術に日本人が関わっている。30年程前に日本人技術者が、1600kmの距離に幾つもある中継所の機械を一つ一つ点検調整したのだそうだ。ただ、97年以降、ケーブルが国道に沿って敷かれるようになった。
以前は、公衆電話も少なく、「caseta de telefono」と呼ばれるファーマシーの一角にある電話屋さんが街にあった。もちろん立派なホテルにはFAXもあったが、90年代前半までは、日本への国際電話、FAXなどは、ここを利用するのが確実であった。
現在は、小さな街でも公衆電話もあり、アメリカと同じような感じになっている。また、バハの電話会社TELMEXでは、日本でいうテレフォンカードが利用でき、公衆電話からの国際電話もコインを気にせず通話できるようになった。
さらに、ここ10年でバハでも携帯電話が通じるようになってかなり便利だ。さすがに日本でも、10年前は山間部でつながり難かったり、移動中に途切れたりしたものだが、当時のバハでもやはり、国境近くのエリアなどに限られていた範囲が、現在では、大きく広がった。大きな街を中心に8つのエリアで通話が可能である。
BAJA CELULARとTELCELの2つのケータイ会社が今もエリアを広げている。また、アメリカのケータイも簡単な手続きで通話できるし、日本の海外ケータイも当然利用可能だ。

BAJA1000のレース中トラブルで立ち往生しているドライバーが、無線機ではなく、携帯電話で連絡を取っている光景は最近多く見るようになった。
BAJA1000のオーガナイザーSCOREでは、90年代後半に、衛星携帯電話のスポンサードを受けていたが、それすらもいらないくらいに基地局が広がっている。
もちろん山間部や砂漠地帯などは、つながらないが、スタート直後や、レースコースが国道と交差する付近では、サボテン林の中から日本とでも通話できるのだ。
それこそ万が一のトラブル時にはとても便利だが、せっかく原始のままの自然に抱かれている時くらいは、ケータイの電源は切っておきたい。
高層ビルの林から、ようやく抜け出して来たのだから。
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