バハ・カリフォルニア半島には、その付け根から先端までを貫く舗装の国道が1本だけ通っている。その国道を、アメリカ・カリフォルニア州と接する国境から南に約430km下ると、El Rosario(エル・ロザリオ)という小さな街がある。
国道はここまで、太平洋側を南下するが、EL Rosario からは、東に進路を変え、半島中央部へと向かう。ちょうどこのあたりを境にして、皆が、「本当のBAJAがここから始まる」と言うように、巨大サボテンとシリオツリーの林立する砂漠の風景が約500kmに渡って広がっているのだ。
地理的に道の曲がり角でもあり、まさに本当のBAJAへの入口となる、このEL Rosarioに、半島縦断の旅人達のオアシスとなる、ホテルとレストラン、Mama Espinosa(ママ・エスピノーサ)がある。

1950年にEnsenada(エンセナダ=BAJA1000のスタート地で有名)の南に位置する最初のサービスステーションとして宿泊施設とレストランを開くと、すぐに、人気のお店となった。特に、BAJA1000に出場する選手達は必ず訪れるといっていいほどだ。スティーブ・マックィーンも、宿帳にサインを残している。
メキシカン1000ラリーとして始まった、第1回のBAJA1000では、ここMama Espinosaがチェックポイントのひとつとなり、通過する選手達に、ブリトーを1つずつ手渡していった。

Dona Anita Grasso Espinosa は、フランス人とイタリア人のハーフで鉱山技師であった父と、Pimaインディアンの酋長の娘であった母との間に生まれた末娘である。
小学校までは、母とアメリカで過ごし、後にEl Rosarioに戻ってきた。22歳で村長の息子であったHeraclio Espinozaと結婚し、第二次大戦後、レストランを開いた。
ママ・エスピノーザと、彼女の家族は、バハとバハの発展のために大きく貢献している。
アメリカから医師を飛行機で向かわせ、半島の遠隔地の住民に医療提供するボランティアグループ、Samaritanos Voladores(サマリタノス・ボラドーレス=空飛ぶサマリア人)の構成に参加し、また、今日まで続く孤児院や、ロザリオのシングルマザー援助センターを設立した。さらに、彼女の兄であるArturo Grasso penaは、現在も未舗装で、BAJA1000のレースコースとして使われているが、生活道路としても重要なBahia de Los AngeresからEl Arcoへと通ずるコルテス海側の道路の建設に携わった。
ママ・エスピノーザは、100歳をむかえる今でも、世界各地からの多くの旅行者に挨拶し、バハや、料理の事を話している。BAJAを訪れた者すべてを、もう一度その地に戻らせる魅力を持ち合わせた、BAJAのパイオニアの一人だ。そして、彼女の好きな言葉は、「悪い道は、良い人を連れてくる」だそうだ。

レストラン・ママ・エスピノーザの名物は、やはりロブスターだ。El Rosarioは、海が近いので、魚介類が豊富である。漁によっても異なるが、大人数で訪れると必ず、「今日のロブスターは大きいですよ」と勧められ、40cmを越える本当の大物を見せてくれる。そしてフィッシュタコスとブリトーも絶品である。
お店の窓ガラスには一面、BAJA1000関係のステッカーが貼られ、店内には、ジョニ−キャンベルを始め、トップライダー達のサインやポスターが所狭しと飾られている。

レース中には、El Rosarioのガソリンスタンドで給油しても、レストランに立ち寄るのは難しいかもしれないが、レース後の帰り道には、ぜひ、ロブスターを注文してみてはいかがだろうか。

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