エンセナダ(Ensenada)は、バハ・カリフォルニアで3番目に大きい都市だ。
アメリカ、サンディエゴから国境の街ティファナを越えて、約2時間ほどの太平洋に面した港町だ。

スペインの命を受け航海をしていたポルトガル人の探検家ファン・ロドリゲス・カブリリョが1542年、先住民インディヘナのクミアイ族の住むこの地を発見し、サン・マテオと命名した。
その後、1602年に、スペインの探検家セバスチャン・ビスカイノが再発見しエンセナダ・トドス・サントス(Ensenada de Todos Los Santos)に改名した。地形的に天然の港となっていたエンセナダだが、その地名エンセナダ(Ensenada)は、スペイン語で「入江」「湾」の意味である。
18世紀後半より入植が進み、現在のアメリカ・カリフォルニア州を含む地をカリフォルニアとしたメキシコだが、1846年米墨戦争でサンフランシスコ、サンディエゴの港を失うと、エンセナダは太平洋岸の重要な軍港となった。
再び街に活気が戻るのは、1850年代頃のゴールドラッシュであった。1875年までには、人口1,500人程あったという。
そして1882年に北バハ・カリフォルニア地方の首都となり、やがて金鉱山の衰退と共に首都はメヒカリに移りはしたが、メキシコの商業、産業と観光の最も重要な通関港の1つとして栄えてきた。また、自治体としてのエンセナダは、半島の約半分で分かれる南バハ・カリフォルニア州の州境までの、半島のおよそ1/4を占めるメキシコ最大のものだ。

現在のエンセナダは、開港以来のメキシコ海軍の軍港として、マグロの水揚港として、あるいは様々なプレジャーボートや客船の寄港地として、さらに、アメリカからのアクセスのよさにより、リゾートとしてにぎわっている。
街の中心街には、近年観光客向けのナイトクラブやバーが多く、メインストリートでは、深夜まで大音量のラテンのリズムが流れている。

また、現在、BAJA1000のライダースミーティングが開かれ、その前の通りからスタートとなる、リビエラコンベンションセンターは、メキシコ政府が禁止するまで、1930年代は、カジノとして営業していた。そして、その周辺には、宿泊施設やレストランが多く軒を連ねている。
フィッシングやマリンスポーツのほか、フェスティバルや、スポーツイベントも多く開催され、商業港としてだけでなく、観光の街として大きく発展している。

特産品は、少し内陸に入った丘陵地で栽培されるぶどうで作られるワインだ。エンセナダ市のシンボルマークはブドウが象られている。
食べ物は、もちろん魚介類が有名だ。市中には、看板にマリスコス「Mariscos」(魚介類)と書かれたレストランが幾つもあり、また、そうでないレストランでも、必ず魚料理は用意されている。
メキシコの沿岸地域の人々は長い間、魚のタコスを食べていた。先住民インディヘナ達は数千年の昔から、石挽きのコーントルティヤの中に豊富な海の幸を包み食べてきたといわれる。

そして、エンセナダの人々は、彼らの港町がフィッシュタコスの元祖であると主張している。特に、港のフィッシュマーケット通りの両側に並ぶ小さいタコスレストラン(タケリア)の多くは、フィッシュタコス発祥の地と謳っている。少なくとも、フィッシュマーケットが出来た1958年には、それがあったと。
バハで試したい10の項目の1つに、「エンセナダのフィッシュタコスを食べる」を加えてはいかがだろうか。
|