サンタ・ロザリア(Santa Rosalia)は、「鉱山の街」、「木の街」、とも呼ばれるコルテス海に面した港街だ。
1700kmに及ぶ半島を縦断する唯一の国道1号線は、アメリカ国境から約400km、半島の西側太平洋岸を南下し、やがて半島の中央部へと進路を向ける。そして、砂とサボテンの大地をさらに350kmほど南下し、今度は東側に進路をとり、200km余り進んだ先にようやくコルテス海と出会う場所にある街だ。
街自体は、海岸線を通る1号線から垂直に細長く伸びているので、旅人は、その入り口を通り過ぎると、街があることに気が付かず通り過ぎてしまう。ただ、それまでの行程で見ることがなかった、国道沿いに建つ巨大な人工物を目にして、かつての繁栄は、容易に想像できるはずだ。

サンタ・ロザリアは、1700年代初頭には設立されていたが、たまにしか降らない雨による洪水などで荒廃し、1830年ほどで、街は放棄されていた。
しかし、銅鉱脈の発見により、街は発展することになる。1885年フランスのEl Boleoという採掘会社が港、街、鉱山、鉄道、鋳造所などの建設と引き換えに99年の採掘権を得て創業しはじめた。世界的な銅の需要とともに発展し多くの外国人労働者も働いていたが、その後の銅の枯渇にともない、1954年にメキシコ政府に売却された。そして、1985年まで、99年と364日創業されていた。海岸沿いに建つ、その精錬工場の廃屋が博物館として保存されているのだ。

運搬船は主に、アメリカ西海岸北部ワシントン州タコマへ向けて銅を出荷していた、そしてその帰路には、木材を積んでサンタ・ロザリアに戻ってきた。鉱山の開発と、公共施設や家の建設に必要な材料は、この木材で賄われたのだ。
バハ・カリフォルニアの幾つかの街と同様に、海に流れ込む川沿いにできた街であるが、サンタ・ロザリアは、北と南の小山に挟まれた、幅わずか300mほどの谷に細長く作られた小さな街だ。そして地理的に明確な住み分けがなされていた。 労働者の家は鋳造所と港の近くの低地に建設され、南側の小山の上に、公務員と補助職員が住んでいたメキシコ地区があった。そして、すべてを見下ろす、最も高い北側の小山はフランス地区となっていた。
街の建物は木造のフランス様式で、アメリカ・ニューオリンズのフレンチクォーターを連想させる、バルコニーとポーチのある家屋が連なる。シティーホールや、郵便局、図書館、丘の上に建つ1886年創業のホテル・フランスなど、まるでタイムスリップしてきたかのような、不思議な感覚になるはずだ。

もっとも、バハ・カリフォルニアの大自然と対照的な、巨大な工場跡や、街の入口の公園広場に展示されている、かつて鉱山鉄道で活躍していたの機関車が、街の中に足を踏み入れる前から、何があるのだろうという興味を掻き立てられる。
そして、一歩街に入ると、一世紀前のフランス風の街並みと、さらに不思議なランドマークが、目に飛び込んでくる。かのエッフェル搭で有名な建築家、ギュスターヴ・エッフェル氏の設計とされる、サンタバーバラ教会だ。スペイン侵攻以来の一般的な日干し煉瓦造りではなく、鉄骨のいわゆるプレハブ構造のユニークなものだ。敬虔なカトリック教徒のメキシコの人々にとって生活の中心となるゴシック祭壇が美しいその教会は、もちろん今も現役だ。
自分が、「今どこの国にいるのか?」、「どの時代にいるのか?」と、一瞬考えてしまうようだ。
小さな街には、幾つかのグロサリー、トルティーヤ屋さん、スーパーなどの商店があるが、やはり、いずれも歴史的な建物のまま営業している。
その中でも有名なのは、1901年創業という、パン屋さん「Panadelia El Boleo」だ。毎朝バゲットの焼けるいい匂いがメインストリートに漂う。お菓子代わりに、メキシコ風のペストリーなどをほおばりながら、異国の地で、異国情緒を味わってはいかがだろうか。
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