日本の本州とほぼ同じ大きさの半島の北から南まで、およそ1600kmのオフロードを走行するBAJA1000。
そのレースコースは、毎年異なる。もちろん大きく変わらない区間や、以前使われた区間の組み合わせなどもあるが、必ず違うルート設定だ。
また、諸般の事情により半島を縦断するコースは数年に1度となり、その他の年は、半東北部でスタート地に再び戻ってくるループを描くルートとなることが多い。

BAJA1000は、ラリーとは異なる、いわゆるデザートレースと呼ばれるカテゴリーのレースで、巻き取り式のコースマップホルダーは必要としない。子供が描くチューリップの絵のような矢印が並んだ、分岐や合流、方向を示すコースノートはあるが、ライダーがレース中にコースマップを見ることはない。1600kmに及ぶレースコースのほぼ5マイルおきと、分岐にマーカーが設置され、そのコースマークをたどって行けばゴールにたどり着くようになっている。
コースマーカーは幾つか種類がある。蛍光オレンジ地に黒の矢印が描かれたもの、黄色のコーステープにリフレクターテープが巻かれたものが主なものだ。いずれも、サボテンや木、電柱、フェンス、杭などに貼り付けられたりしばりつけられたりしている。そして、最近は少なくなったが、直接サボテンや岩に描かれたものもある。

コースは、おもに生活道路や、作業道として使われている道、あるいは干上がった川底などを使用するが、一部に農場や牧場の中を通る道を使用する場合がある。そのため、BAJA1000のエントリーフィーには、ランドユースフィーとして、土地使用料が含まれているのだ。

メキシコの土地所有形態にはエヒード(ejido)と呼ばれる共同体所有による集団農場がある。キリスト教徒のスペイン人が15世紀後半にイスラム教徒のムーア人からイベリア半島を奪回した時代の制度を起源とするそうだ。
スペイン国王は、戦闘でムーア人から押収された土地を貴族に与えた。そして、新大陸に於いても、インディヘナ達を支配することの見返りに、征服者達に共有地を与え、その伝統を続けたとされる。
1910年からのメキシコ革命においてエヒードの概念は、一部の大地主やプランテーションから土地を農民の共同の財産として農民の手に戻す方法へと変換した。1992年以前は、農地は政府所有で、農民は耕作権だけであったが、新農地法によって農地の賃貸・売買が可能となった。しかし、それは農地なき農民の自作農への道を閉ざし、政府と対立する武装農民組織により銃撃事件も起こった。また、2006年末からの新政府による麻薬組織の取り締まり強化により、犯罪者達と警察や軍との抗争が激化し、「麻薬戦争」と呼ばれて現在も収束する様子がない。
そんなことが影響しているのか、今年のBAJA1000のレース前にプレランをしていたアメリカ人が銃で撃たれたというニュースが入ってきた。牧場の中を通る道の入り口ゲートを開けっ放しで行ってしまうライダーに腹を立てて発砲したという情報もあるが、実際のレースコースではないところだったようだ。
取材ツーリングで、舗装の国道から200kmも離れた場所を走行中に、牧場のゲートがあった。ゲートをあけようとバイクを停めると、どこからか農夫風のメキシカンが現れてノートの切れ端に英語で書かれたメモを手渡された。「7年も雨が降っていない。水を買いに行くにもガソリンもない。」という内容の何度も折りたたまれてクシャクシャになったメモだ。5ドルを支払い、ゲートを開けてもらった。単なる物乞いだったかもしれないが、我々は、快く支払った。
格差が生んだ不幸から彼らは抜け出すことはできない。ライダーは彼らの土地で遊ばせてもらっているのだ。恩返しをしなくてはいけない。
オフロードの神様といわれるマルコム・スミスは、バハの小さな村にある孤児院に寄付をしている。人の生活も含めて、環境を守っていかなければいけない。
どこかの国の小さな半島の林道は、ほとんど通行止めで、自由に走れる場所が少なくなっている。
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