2009年、2010年は、「日本メキシコ交流400周年」として日墨両国とも国を挙げて祝賀し、更なる交流促進のキャンペーンを行っている。
1609年9月、フィリピン諸島総督代理ロドリゴ・デ・ビベロを長とする船が、ヌエバ・エスパーニャ(当時のスペイン領メキシコ)への帰国途中、台風のため千葉県御宿沖で遭難し、乗組員317人が救出された。遭難に気づいた海女たちが海から救い出し、自分たちの体で彼らを温めたという艶かしくも心温まる言い伝えも残っている。
徳川家康は、翌年、ビベロ帰国のため、自身も漂着し慰留した三浦按針ことウィリアム・アダムスに造らせた船を提供。1610年にビベロを乗せた船は太平洋を渡り、京都の商人田中勝介他20数名の日本人とともにメキシコ(アカプルコ港)に帰国した。2009年はそれから400年目にあたる。

意識して、生産国、原産国をチェックしないとわからないが、意外と私達の暮らしの中にメキシコ産(製)のものが、入っている。
モノやサービスの自由な移動を促進する日本とメキシコの経済連携協定(EPA)が2005年に発効され、関税撤廃が進み、アエロメヒコ航空が、成田とバハ・カリフォルニアの玄関口、ティファナを結ぶ直行便を就航させるなど輸送インフラも整い、メキシコが農水産物の対日輸出を増やしている。
例えば、病害を理由にした輸出禁止も解禁され、輸出が盛んになってきた、メキシコ料理でも多く使用される、州の主要農産物であるトマト。
また、日本が輸入しているアボカドの約95%、ライムの99%以上はメキシコ産だ。
ほかに、ビールやテキーラ、トウガラシ等、多くの食品がメキシコから輸入されている。

観光では、日本からのツアーで人気のある、マヤ文明のユカタン半島や、カリブ海リゾートカンクン、メキシコの熱海とよばれるアカプルコと、メキシコについて知らなくても聞いたことのある名前ばかりだ。
スポーツエンターテイメントでは、ルチャ・リブレと呼ばれるメキシカン・プロレスや、ボクシングは、日本選手が修行や遠征に訪れたり、メキシコの選手が日本で試合をしたりとなじみが深い。

バハ・カリフォルニアでは、アボカドやライムの栽培はほとんど無いが、日本と関係が深い農水産物としては、トマトと、回転寿司で人気のマグロだ。
アメリカ−メキシコ国境から、300kmほど下った太平洋岸の街サンキンティンには、広大な土地にトマト栽培のビニールハウスが整然と並んでいる。
そして、BAJA1000のスタート地としても有名な、エンセナダ近海では、クロマグロの蓄養事業が行われていて、そのほとんど全量が日本へ輸出されている。
国境からエンセナダまで続く有料道路は通称「バハの西湘バイパス」。太平洋岸を走るシーサイドハイウェイだ。エンセナダ近く、少し高いところを走るそのハイウェイから、は、青い海に描かれたいくつものマグロ蓄養生簀の輪っかを見る事ができる。
また、半島の真中、太平洋に面する乾燥した街ゲレロネグロには、世界一の広さ面積の天然塩田製塩所があり、工業用としても需要のある塩は日本をはじめ、アメリカ、カナダ等に輸出されている。
一方バハ・カリフォルニアで見られる日本は、やはり車や電化製品。日本企業の現地生産工場もたくさんある。
食べ物は、すし、テリヤキ、そしてしょう油もレストランのテーブルに置かれていることがある。
そして、なんといっても「マルちゃん」のカップラーメン。小さなスーパーでも必ず目にする。
国道沿いの小さな食堂では、そのままメニューにもなっているくらいだ。日墨交友は、庶民の味からはじまるのだ。

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