バハ・カリフォルニア半島は、日本列島の本州より少し小さいが、南北1300kmにも及ぶ世界最長の半島だ。
有名なオフロードレース、BAJA1000のゴール地ラ・パスは、半島の突端部ではあるが、本当の半島最南端は、さらに約200km南下した先にある、カボ・サン・ルーカスとなる。
コルテス湾側のラ・パスからカボ・サン・ルーカスへ向かう途中、国道19号線で半島を渡るように80kmほど下り、太平洋にぶつかったところにある街がトドス・サントスだ。
ラ・パス〜カボ・サン・ルーカス間の唯一のオアシスとして、1723年にイエズス会の宣教師によって植民されたのが始まりとされる。
現在は、太平洋に面したビッグウェーブで有名なサーフィンの街、そして芸術家達の街と知られる。
そんな小さいがおしゃれなトドス・サントスの街にイーグルスの歌で有名なホテル・カリフォルニアある。

街は、1850年をピークに、サトウキビの栽培と砂糖の生産工場で栄えていたが、干ばつと第二次世界大戦の余波によって暴落した砂糖価格で、街は衰退していった。
ホテル・カリフォルニアは、中国系移民のAntonio Wong Tabascoが、それまで砂糖景気で繁盛していた中華レストランの店を1950年にホテルに改装したのがはじまりだ。
今でも見ることができるサトウキビ圧搾機跡が物語るように、当時は寂れた街の唯一のホテルであった。

一時期、ホテルミッショントドスサントスと名前を変えるなど、日のあたることは無かったが、1984年のラ・パスからカボ・サン・ルーカスまでの道路の舗装工事完成にともない、トドス・サントスが観光の街として人口約7,000人にまで成長し、また、1970年代の大ヒットで有名になったホテル・カリフォルニアが、トドス・サントスのこのホテルが基になったと言ううわさが、1980年代後半にひろがり、一躍脚光を浴びることとなった。
しかし、ヒット曲のブームも終わり、1990年代後半に、ホテルは営業を停止し、その後売りに出された。
買い手がつかないまま、しばらく荒廃していたが、2002年トドス・サントスメッセージセンターのオフィスとなり、さらにその3月にはジョン・スチュワートのマネージメントにより、新たに11室のモダンな客室と、レストラン、バーを備えたホテルとして再開された。
今では、カボ・サン・ルーカスのリゾートを訪れた観光客達が、オプショナルツアーとして、ホテル・カリフォルニアTシャツやイーグルスにちなんだお土産を買いにやって来る。
ただ、後にイーグルスのメンバーが雑誌の取材で、「ホテルに滞在した事はない」と語ったとか語らないとか・・・。
いずれにしても、都市伝説は語り継がれ、今もホテルのレストランやバーでは、訪れた客のリクエストに応えホテルカリフォルニアが流れつづけている。
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